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『眉山』
普段、日本映画はあまり観ない私だけど、劇場で何度か予告編を観て、『眉山』は観に行こうと心に決めていた。予告編で観た松嶋菜々子の表情に何だか惹かれるモノがあった。母と娘の話というのも興味をもった理由の一つ。何年か前だったら全く興味のない題材だなと思う。やはり4年前に自分が子供を産んで親になり、大変な子育てを通して始めて母の有り難みを痛感し、育児で悩んだり躓いたりするたびに「あぁ、お母さんもこんな思いをして私を育ててきたのか…」と、一緒に暮らしていた学生時代よりも親子の絆を深く感じているタイミングだったから。

徳島に暮らす母(宮本信子)が病に倒れたとの連絡を受け、慌てて東京から帰郷した娘、咲子(松嶋菜々子)。医者から母親が末期のガンであると宣告され愕然とする。母一人子一人で育ち、小さい頃から父親の事を尋ねるたびにはぐらかす母親に対して反感を持っていた咲子だったが、残された母との短い時間の中で、これまで知らなかった母の人生を知ってゆく。

宮本信子さんはやっぱりすごい女優さんだなと思った。死を前にしながらも毅然とし、最後まで信念を曲げずに強く生きる女性を見事に演じていた。
モノ凄い迫力と存在感で、セリフのないところでも目がすべてを語っているって感じなのよねぇ。あの目でまっすぐ見られたら、スクリーン越しにでもたじろいじゃうくらい。
咲子が手紙の住所から父親の診療所を探し出し、娘だとは明かさずに患者として診察を受けて父親に会うシーンがすごく切なかった。そして「私、お父さんにな〜んにも言えなかったんだ」と母の病床の布団に顔をうずめる咲子を、何も言わずただ撫でる母の手…。泣けました。
最後の阿波踊りのシーンは圧巻。その中で母のために必死で父の姿を探す咲子に客席からすすり泣く声が聞こえていました。

お母さんってずっと“お母さん”としてしか見たことなかったけど、一人の人間で一人の女なんですよね。この映画を観て、お母さんって一番近い所にいる人だけど、もしかしたら一番知らない人かも知れないナと思った。咲子みたいに母親を亡くす前になってからでなく、元気な間に母ともっともっとたくさん話しなくちゃと思った。一人の女性として。
すがすがしい涙を誘う、良い映画でした。
映画レビュー | 17:47 | author : 小林千絵
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もしも昨日が選べたら 『CLICK』
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最近観たDVDですごく面白かったのはアダム・サンドラー主演の『CLICK』。邦題は『もしも昨日が選べたら』です。前半はアダムならではのハートウォーミングコメディで、お腹を抱えるほど笑わされていたかと思ったら、後半からググっとヒューマンドラマになって最後はボロボロ泣かされました。
 
マイケル(アダム・サンドラー)は美人の妻ドナ(ケイト・ベッキンセール)と可愛い小さな二人の子供を持つ建築家。家族思いの彼は早く出世して家族を幸せにしたいと、とにかく仕事優先で頑張っている。しかし、子供との休暇の約束も守れずに仕事ばかりしているマイケルに奥さんはプンプン。どこの国でも同じですねぇ。男はつらいよ (-。- ) フゥー。そんなある日、彼は電化製品のみならず、人生さえも自由自在に操れる夢のような“万能リモコン”を手に入れる。最初はうるさい犬の鳴き声を消したり、面倒なシャワーの時間や通勤中の渋滞時間を早送りしていただけだったが、次第に万能リモコンへ依存する気持ちがエスカレートしていき、ついには家族サービスの時間や、出世までのしんどい道のりまでも早送りしてしまうマイケル。すべてが夢に描いたとおり、面白いほどに人生がうまく進んでガッツポーズで喜ぶマイケルだったが、早送りしたことで無くした時間の代償は大きかった…。というストーリー。

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マイケル一家の状況はまさに我が家。毎晩、帰宅は日付が変わってからで、土日も仕事で出て行く旦那に、『もぅ〜私一人で子育てしてるようなもんやわ!』と、いつもプリプリ不機嫌な私。ただ、マイケルの奥さんと違うのは、休日もパパに遊んでもらえない子供が可愛そうで旦那に怒ってるのではなく、自分が可愛そうで旦那に怒っているというところ。『私だって仕事したいのに、なんで私だけこんなシンドイ子育てやらなあかんの?』『仕事が大変なのは分かるけどちょっとは協力してよ!』てな感じ(こうやって改めて自分の言葉を書いてると、最悪の母親ですなぁ〜アタシ。ちょっぴり、いや大いに反省)。    
 そんな私だから、“旦那の身体が仕事用と家庭用と二つあったらいいのに…”とか、“子供が早く手のかからない年齢になってくれないかなぁ…”と、何度思ったことでしょう。もしもこの万能リモコンを手に入れていたら、マイケルと同じ使い方をしたに違いない。おぉ怖っ!
 自分の現在の家族に対してだけでなく、離れて暮らす両親に対しても色々深く考えさせられるところがありました。死ぬ間際になってから大事なことに気づいても遅いもんなぁ…。旦那にも観せよっと!

 マイケルがジャンクフードの食べ過ぎでもの凄い巨漢になったり、奥さんや上司などマイケルを囲む人たちが早送りで突然老けた中年になったり、特殊メイクが凄い! 万能リモコンによって起こるさまざまな現象の映像マジックも本当にすごいよく出来てます。ストーリーだけでなく視覚効果の方もかなりの見もの!

 終盤に登場する成人したマイケルの息子役の男の子がすごく優しそうで可愛いナ〜と思っていたんですが、ナント、あのダスティン・ホフマンの本当の息子さんなんだそうな。そういえば似てたような…。そして大きくなった娘の方はナ、ナ、ナント、ジャック・ニコルソンの本当の娘さんだという話も…。有名な俳優さんの子供でもこんなチョイ役しかもらえないんですねぇ。さすがハリウッドは厳しい。
 
 はたしてマイケルはどうなってしまうのか…? 是非ともDVDで観てみてくださいまし。
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来日記者会見 | 00:00 | author : 小林千絵
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『ロッキー・ザ・ファイナル』
ロッキー2

『ロッキー・ザ・ファイナル』観てきました! あんなに化粧が取れるほど泣かされるとは…予想もしてなかったよ〜。こういうストレートな映画大好きだなぁ〜。胸にズンズンきました!
 「エイドリア〜ン!!」の叫びで世界を泣かせた『ロッキー』第一作目から30年。シルベスタ・スタローンが60才の身体をはって脚本、監督、主演を務めたロッキー第6弾! スタローンが自身の分身とも言えるロッキー・バルボアへの熱い想いを締めくくるべく作り上げたシリーズ完結編だ!
 な〜んて知ったかぶりしてる私ですが、ロッキーは1作目しか観てませんでした。実は私、人がボコボコに殴られて顔が腫れ上がったり、血が飛んだりするのを観るのが怖いのでボクシング観戦は苦手。だから『ロッキー』を最初に観た時も、最後の対戦シーンは手で目を覆いながら指の隙間からチラチラのぞき見した感じでした。それでもやっぱり最後は涙、涙…。ゴロつきの男が愛と友情を得てリングに立ち、打ちのめされながらも立ち向かう人間ドラマの部分にものすごく胸を打たれました。
 余談ですが、ロッキーのパチスロ(スロット)が出た時はすぐに打ちましたよ。BIGを引いてあのロッキーのテーマソングが流れてきた時には、胸の奥からラストシーンの感動が込み上げてきて、しゃくり上げるほど泣いてしまいました。周りの客から観たら「あの女、何でスロット打ちながら泣いてるんや? BIG引けたのが相当嬉しかったんかな?」と思われたかなぁ?(それも多少あったかとは思いますが…)。
 
そんなボクシングが得意でない私なので、シリーズ続編は特に観てなかったワケなのですが、熱烈ロッキーファンの人からは「そんな奴が『ロッキー・ザ・ファイナル』を語るな!」と言われちゃいそうですね。でも何と言われようと語らせてもらいまっす! だってメチャクチャ良かったんだもの! 私のようにシリーズ2、3、4、5をすっとばしても十分に楽しめる内容になってたし、何よりロッキーファンじゃない人にも観て欲しい素晴らしい映画だったから!

 現役から退いて小さなレストランを経営をして細々と生計を立ているロッキー・バルボア。かつての輝きは失い、過去の栄光と、他界した愛妻(エイドリアン)の面影をひきずって生きている。そんな老いたロッキーがある事をきっかけに、心の喪失感を埋めるためかのように再び身体を鍛え直し、醜態をさらす覚悟で無謀にもリングに立ち向かう…といった話。
 ちょっと待って、これ誰かの話に似てない? そう、曙さんだ! 曙さんの試合を目にするたび、「もうこれ以上、恥をかかないで! 見てられないっ。もっと賢い生き方があるでしょう?」と胸が痛かった私だったけど、この映画を観ていたら、曙さんがああまでして戦うことにこだわった気持ちが少し分かったような気がした。そして、恥をかくことを承知しながらも応援する家族を本当にえらい!と思った。私の夫がもし格闘家だったら…私はロッキーの妻のエイドリアンや、今回登場する新しい恋人のように、愛する人の無謀にも思える決心を受け止め、応援してリングに送り出せるだろうか…? と考えさせられた。到底できないだろうなぁ。「やめとき! 怪我して再起不能なったら私も子供もどうすりゃええの?」とか言ってしまうやろな。「おもいっきり高い保険入ってからにしてや!」とか…。あぁ、自己嫌悪。

 それにしても感心したのは、60才という年齢でロッキーを再びスクリーンによみがえらせたスタローンのパワー。ファイトシーンでは映画といえどもかなりパンチを食らうし、何よりも勇気がいったのは、60才のたるんだ身体をさらしてカメラの前に立つことだっただろうと思う。でも、そこはさすがスターさんで、普通の60才のおじさんから考えると大した筋肉持続力だったけど、かつての“イタリアの種馬”の異名をとったロッキーの荒々しい面影は微塵もない。当たり前ちゃ〜当たり前なんだけど、つい昔と比べてしまい『あらら…』と痛々しく眺めてしまう観客たち。時は残酷だなぁ〜。
 でも、でもなのだ! このファイナルはカッコいいロッキーじゃなく、ぶざまな老体(言い過ぎかぁ?)で戦うからこそビンビンに伝わってくるものがあったと思う。そんなロッキーが今のスタローン自身と重なるからこそこの映画は胸を打つんだと思う。実際、彼はインタビューで「どんなに馬鹿にされようがもう一度ロッキーに挑戦したかった!」と言っています。過去の名誉に安住せず、自分自身と戦うかのようにスタローンが挑戦した今回の映画を、「くさ過ぎ」とか「ひとりよがりで観てられない」とかいう人もいるようだけど、私はすごくカッコいい!と思いました。私もこの先どんなに歳をとって見栄えが衰えても、心は歳をとらないよう努力しようと思ったし、そういう心の火を燃やし続ける熱い人には素直に拍手を送れる人間でいたいナと思いました。
 
そういえば、1作目のロッキー・バルボア(負け犬だった三流ボクサーが最後に本当の勝利を勝ち取る物語)もまさに当時のスタローンとオーバーラップしてたんですよね。売れない俳優でオーディションを落ちまくり、ポルノ俳優や用心棒をしてなんとか食べていたスタローンが、ある日、モハメット・アリと無名のボクサーとの壮絶な試合を観戦し、感動した彼はそれをヒントに3日間、不眠不休で『ロッキー』の脚本を書き上げて制作会社に売り込んだ。ストーリーが気に入られ、ナント7万5千ドルという破格の買い取り額になったにもかかわらず、彼は売り渡さなかった。制作側の条件がロッキー役をロバート・レッドフォードやアル・パチーノといった有名スターにやらせるというものだったから。彼は喉から手が出るほど欲しかった大金を蹴って、あくまでも自分がロッキー役をやることにこだわった。『この役は俺にしか出来ないんだ!』と。
 モメにモメた交渉の結果、ロッキー役は手に入れたものの、一時期36万ドルまでつり上がった脚本料は2万ドルに減額、主演料は俳優組合の定める最低料金に、制作費はTVシリーズ1本分しか与えられず、監督も安いギャラで働いてくれるB級監督に決まった。そんな低予算映画が予想外に大ヒットし、アカデミー作品賞まで獲ってしまったんだから、まさにアメリカンドリーム! この話はどれだけの売れない俳優に夢を与えたでしょう。(私もそのうちの一人でした) 

『ロッキーシリーズ』は今回で終わってしまうけど、スタローンにはこれからも『これぞ映画の王道!』というようなクサいクサい根性モノを作っていってほしいナ。そして冷めがちな私たちの心を鼓舞してくれるカッコいいおじさんでいてほしいと思います。
  
ロッキー1
- | 17:41 | author : 小林千絵
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BABEL (バベル)
バベル1 

話題の『BABEL』(バベル)観てきました! ずっしりと心に杭を打ち込まれるような、なかなか見応えのある作品でした。
 モロッコ、メキシコ、日本を舞台に、それぞれの独立したストーリーがほぼ同時進行していく。一見、バラバラに思える3つのストーリーが終盤でうまくリンクしていきます。繋がりはモロッコを旅行中の一組のアメリカ人夫婦と、一つのライフル銃…。景色はもちろん、スクリーンから放たれる空気の温度感も匂いも全く違う3つの国での出来事を、私たち観客は何台ものカメラのスイッチを切り替えるように観ていくんですが、普通なら視点が散漫になってそれぞれのストーリーへの入り込み方も3分の1に薄まってしまうところが、逆にスイッチが切り替わるたびにそれぞれの話に深く集中していってしまうように出来ていたのが『この監督上手いなぁ〜』と感じたところです。
 ここ日本(東京)でのシーンがかなり多かったのは意外だった。ブラピの出演してるハリウッド映画に、馴染みのある渋谷や銀座の街、子供がよく遊ぶ麻布十番の公園(たぶんあれは一の橋公園)など、自分の日常の場所が出てくるのは何かとっても不思議な感覚でした。
 アカデミー賞ノミネートで話題になった菊池凛子はある意味(?)体当たり演技で、やはり異色な存在感を放っていましたよ。あるシーンでは観客みんなゲッ!とひいてしまってましたもん。あの役はナルホド有名女優やアイドルには出来なかったなぁ〜と映画を観て彼女のすごさを納得しました。それは話さず観てのお楽しみにとっておきましょう。菊池さんや役所広司さんはじめ、日本の俳優さんたちがまったくブラピとのからみがなかったのはチと残念でしたが…。
バベル菊池 

 この作品、“伝わらないもどかしさ”“人と人が分かり合うことの難しさ”がテーマになってます。そう、まさにタイトルの『バベル』ですね。旧約聖書では神様は昔、天に届くような高塔(バベルの塔)を建てようとした人間の傲慢さに怒り、二度と人間たちが悪いことを企てないように言語をバラバラにし、まとまらないようにしたといわれています。普段は言葉というツール(道具)を巧みに操って上手に生きている人間が、言葉や文化の違う国で危機に面して窮地に追い込まれている姿がリアルに描かれているこの作品は、まさに神様の悪戯に試されている人間を観察しているようで、観ていてホントにもどかしくて苦しくなりました。特にモロッコの話とメキシコの話は、高熱のある時にナイトメア(悪夢)を見て寝汗をいっぱいかいてる感じ…。こんなこと言ったら『そんなシンドイ映画観たくないよ!』と思う方がいるかもしれませんが(笑)。私にとってはどんな怖いホラー映画より“恐怖”という意味では楽しませてくれました。
 言葉の通じない国でハプニングに遭ってしまったことのある人や、日常の本当に何気ない生活の中で少し横道に逸れたがためにえらい目に遭ってしまい、戻ろうとすればするほど事態が悪化していってしまう…といった経験のある人には、本当に精神的に怖い作品ではないでしょうか?
 唯一、日本のストーリーだけはそういったハプニング性はないけれど、聾唖の女の子が伝わらない心の叫びを抱えて孤独に苛まれているという点ではやはり『バベル』なのです。難しいですよねぇ…分かり合うって。
 悲しいナ思ったのは、言語の問題だけじゃなく、言葉が通じ合う者同士でも心がすれ違ってしまってるところ。ブラピとケイト・ブランシェット演じるアメリカ人夫婦も、お互いの心のわだかまりを伝えられないままギクシャクした関係を長年続けていたのが、モロッコで偶然事件に遭遇し、絶体絶命の窮地に陥って初めて心が通じ合うというのも皮肉なもんですよね。悲しすぎたのは同じバスツアーの同国人が事件に巻き込まれたというのに、我が身の安全だけを考えて夫婦を置きざりにして逃げようとしていた観光客たち。逆に文化も常識も違うモロッコのガイドが夫婦を助けようと必死に走り回ってる姿や、言葉が全く通じないモロッコのおばあちゃんがそっと痛み止めの煙草を吸わせるシーンが強く印象に残りました。そう考えると人間の繋がりって言葉ではないのかもしれませんね。神様はそれを気づかせるため、わざと言葉をバラバラにしたのかな…?
 観終わって時間が経った今、もどかしくて苛立った場面より、恐怖の中でホッとした瞬間や、コミュニケーションが難しい中で必死で分かり合おうとする人間の姿や、少しでも心が通じ合った瞬間ばかりが思い出される不思議な作品。なので、あえてそんなシーンの写真ばかりを載せてみました(菊池凛子さんの写真除いて)。このメキシコ人のおばちゃんが赤いドレスを着て、白人の子供を抱きながら砂漠をボロボロになって歩く姿は一生忘れないだろうなぁ。個人的にこのおばちゃんにも助演女優賞獲ってもらいたかった。

バベル2バベル3
映画レビュー | 18:27 | author : 小林千絵
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